ワラをも掴みたい時、中途半端なエネルギーと志向性が出てくるんです。いっそ止めちゃいましょう。
病気になり、初めて死を実感したことで、「とにかく生きるんだ」という目標を得たのは大変、有意義なことでした。とにかく、「さしあたり何をすべきか」、それだけははっきりしたのですから。
しかし、依然として大局的には「夢」「目標」「志向性」「ビジョン」「計画」というのがまるで立ちません。やっぱり、体を早く治して社会で見つけたい、とボンヤリ考えていました。エネルギーが出始めると、今度は「焦り」のようなものが出てくるんです。それはそうかもしれません。エネルギーがなくて、方向が見えないなら、焦りなんてあるはずがありません。自分が動こうとしないんですから。
「動きたい」「動かなくてはいけない」と思う時、そんな時、動けないと人は焦りを感じるんです。そして人は「誰か」や「何か」に助けを求めたくなるんです。
「何かにすがりたくなる」ということです。エネルギーも方向性も見えないときは、良くも悪くもかえって自立していたのです。なのに、少しビジョンが見え始めたり、エネルギーが出かかると、自分を助けて、「どこかいいところ」に連れてってくれるような人や物が欲しくなるんです。
「ワラをも掴む思い」というのは、こんな時です。もちろん順調に行っているものがエネルギーや方向性を失いだすと、ワラにもすがりたくなります。本当に落ちてしまうと、以外に平気なものです。
まさに「溺れる者」「溺れている最中」なのです。自分を失い、必死でもがいている状態の時は、絶対、人は助けに行きません。溺れている人は必ず、近くの物を掴み、それこそワラでも掴むんです。そして水の中へ引きずり込むんです。その上、助けた人まで溺れさすんです。
はっきり言うと、「助けるプロ」以外は助ける事は無理です。まず、普通の人は手を貸しません。私は初め、「お題目」に助けて貰ったのです。
医者は健康や体のことは助けてくれるが、人生の面倒まで見てくれません。とはいえ、人生のことを誰に、何にすがっていいのかは分からないのです。この答えは、本書を読み終えた時、あなたの中で芽生えているでしょう。 |