死ぬことすら延期した私は、未だ闇の中にいました。悪い時って悪いことが重なるのでしょうか?
大学受験を控えた頃に受けた健康診断で、胸になにやら影が発見されたのです。気にはなりましたが、その時はそのままにしておいたのです。それが長崎にきてどうやら悪化してきたようなのです。
「なんか悪い病気だな。私はもうだめなんだ」・・・悲しみに沈んでいると、また悲しい事がやってくるものです。
よく「プラス思考」「いいことを考えろ」なんていう方がおります。実は私も似たようなことを言っているので、偉そうなことは言えません。しかし、実際その時の私は悲しみの中にいたので、もっと不幸になってきたんです。こんな時、「プラス思考」というのもできないのです。
しかし病気というのは変なものでした。体が悪いというのは、妙にウキウキしてくるんです。「これでやっと死ねるんだ」とでも思ったのでしょうか?そのあたりは分かりません。「病むことのできる自分」は、突き詰めると「生きている実感」なんだと思います。きっと実際に自殺しようと思った時、これほどは「生きている実感」を得られなかったのじゃないかと思います。
だから妙にウキウキしたのは久しぶりで、「生きている実感」に巡り会えたからだと思いました。私はさっきまで、絶望のどん底にいたはずなのに、おかしな具合です。
別にいいことがあったわけじゃありません。かえってかなり「タチの悪い病気」に冒されているらしいと感じただけなのにおかしなことです。
死のうとまでしようと思っていた私は、「これ以上、悪いことは起きない」って勝手に考えていたんです。金融事件、婚約の破棄、故郷喪失、犯罪者扱い、逃亡生活、死のうとしたこと、ときたらもう悪いことは起きないと思っていたのです。
「クククッ」と、笑いがこみ上げてきたのです。自虐的なものじゃなく、本当におかしいんです。意味は分かりません。そこで私は、深刻がっている自分がおかしく見えたのです。
一瞬の光明が差し込んだ思いです。病気は起死回生の光明だったということに、後で気がついたんです。絶望の果てにこそ、光明があります。一瞬の光明は、薄明かりの中では見えないものなのです。真っ暗闇ではもう、失う光が残っていないのでしょう。 |