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  混迷編 4.「心のクセ」には裏切られる
 

信じるということの中に裏切りの要素が隠されています。しかし、裏切られるまで気がつきません。

お客さんの株券で金儲けをすること。当時はそれほどいけないことでもありませんでしたし、仮に私が伯父に渡したお金を引き上げ、借りていた株を返し、会社にも代金を支払えば済むことだったのです。ですから、私が犯した、ミスは偶然であり、一瞬の判断ミスだと思っていたのでしょう。

しかし「心のクセ」が治るまでは、執拗に状況が自分を追い詰めます。私は伯父に「会社やお客さんに状況を説明して、自分の借りたお金を整理したい」と言ったのです。すると伯父は、「染色の機会の特許を今、出願中なので、機械のことを説明されると秘密がわかってしまうからしないでくれ」と言うのです。

これには困りました。ここでお金を返さないと大変な事になる。と思ったのです。その時、初めて事の重大さに気がついたのかもしれません。
私は会社やお客さんにお金を払えないばかりか、犯したミスを説明することすらできずにいたのです。そして、ついに「会社の金をごまかした」として訴えられることになりました。このままでは警察につかまる危険があり、もしつかまれば、結局、警察で訳を話さなければならなくなってしまいます。

しかし、そうなったら、特許のことも公になり、私が伯父のために流した汗も水の泡です。とにかく伯父の勧めもあり、九州の遠い親戚の家に身を寄せることになりました。さて、「私がお金によって人は幸せになる」と思っていたのは一体どうなってしまったのでしょう。私はお金を作れば、自分、お客さん、会社、伯父とみんなが幸せになると信じて行動しました。しかし、一時期は潤ったものの、求めていたお金すら手に入れることができなくなったのです。

はっきり言えば、「お金によって私は、不幸」になったのです。まさか、自分の「心のクセ」に裏切られるとは思いませんでした。

その後、自分が「これは」と正当化したものに裏切られ、「こんなものは…」と思っていたものに助けられる機会が何度も訪れます。そこに至って、こう考えました。「心のクセには裏切られる」と。

   


 

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