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  縁覚編 13. 現実と理想―その人の「存在理由」
 

私はサラリーマンをやっていましたから、企業社会を分かっていました。日本の多くのサラリーマンが、業界のために働き、経営者も会社や業界のために働いている構図と宗教の世界はどこか似ていると感じました。

消費者や一般株主のことより、どうしても会社や業界のほうを向いてしまうことと似て、僧侶が信者よりお寺や宗門のほうをどうしても向いてしまっているのです。
お寺に属していれば、お寺に気を遣い、お寺を持っていればお寺の経営維持に気を遣ってしまいがちです。その上、どうも信者さんにまで、葬式などで金を使わせたりする事が多いのです。確かに、どこの世界でも現実は厳しいものです。傍で見ていれば美しいものでも、実際、中に入ると大変なものです。そこには例外はありません。

私は、お寺や宗門に逆らおうという気もありませんでしたし、自分を救ってくれた教えを批判するつもりもなかったのですが、常々信者さんには「お寺のために拝んだり、お金を使う必要はない。自分の幸せを拝みなさい」と言い続けました。この姿勢が、「お寺や宗門の軽視」に見られていくのです。しかし、別に私は間違った方向に進んだとは思いません。
そうではなく、「自分は何をしにここに来たのか」を自分に問い直すと、自ずと答えは見えてきました。私は「信者さんはもちろん、それ以外の方でも何か自分の経験を生かして、人さまのお役に立ちたい」とそう思っていました。自分のやりたいことが分かっているとそうそう怖いものはありません。心の奥底にあるその思いがその人の「存在理由」なのです。

どこに行っても「現実」は「理想」と合いません。いつもあなたの存在理由である「理想」を確認しましょう。

   


 

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