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2003年8月 「うどんは素うどん 人は素純(すじゅん)」
  今月はモノローグです。経営コンサルタントの鶴田さんが8月に感じたことです。
【「破壊」は理解されていない】
さて、ここ数ヶ月「破壊」が和尚の大きなテーマでした。そういっているうちに、本人まで体調を崩されたわけです。なぜ「破壊」なのか?聞き様によっては、「なんでも壊せばいい」と勘違いされかねません。ところが、ほんとうはこういうことだと思うのです。

【変えないと不平不満が起る】
じつは、世界は常に変化していて、それに合わせるには、自分も変わらないといけない。「合わせないとどうなるか」って?まあ「どうということもない」のですが、現状に不満や不安を持ち続けます。そんな人生を送る可能性が高いでしょう。「不平、不満」を生涯の友とするのです。しかし、「それではいやだ」と思っても、人間は「現状を維持してしまう癖」があります。その癖のためになかなか変われないのです。

【見方を変えると…】
そこで「既成概念を壊せ」と、いわれます。「既成概念」は、「物質的に壊すこと」でも壊れますが、本当は「心理的に壊すこと」で壊れます。まあ、ぶっちゃけていえば、「違った見方をしてみたら・・・」ということでしょう。たとえばふだん「産婦人科」の看板などに目が行きません。ところが自分に子供ができたとき、「町にいかに多くの産婦人科があったか」と看板が目につくのです。そんなことを思い出していただきたい。

【ありがたさに、知らずに感動したとき】
それは商売でいうと、「今まで売ってきたもの」が、「単なる商品」から、「生活の一部を彩る宝物」に見えてきたときがあります。買ってくれたお客様にお礼をいうとき、思わず涙が出ちゃった、なんていう「劇的変化」(カタストロフィー)があればそれで十分「破壊」なのです。ところがそんなことは破壊じゃない」と、「現状を変えたくない自分」がいうのです。「変えちゃうことが怖い」と、感じるのです。しかし、ここで更なる逆転があります。現状にしがみついていると、仕事が面白くなくなるのです。なぜか?

【同じ感動やイキワクは2度と来ない】
たとえ、そんな感動をしたとしても、それは、その時点での、「自分」や「環境」があったからです。気がつかない内に、自分は年を取り(成長しといいたいですね。)世の中は変化しています。全部変わっているのに、また同じことをしようとする、それ自体イキイキしないでしょう。

【じゃあどうしろというの!】
その答えが、「素うどん」なのです。うどんには、いろんな「変わりうどん」があります。しかし、流行がどうであれ、『うどん』が中に入っていなければ、『XXうどん』ではないのです。周りがどう変わろうと周りに合わせて、
自分を自由自在に変えていくよううに見えても、本質は変わりません。

【心の奥底の素純に聞け】
商売や人生に悩んだとき、自分は、「何で商売をしているのか」とか、「なんで、生きているのか」と考えます。それは「イキイキするためにしてるんじゃない?」と気がつきます。「じゃあ、何がイキイキなの?」というとき、自分の『ホントのホント』、つまり『素純』に聞かないとだめです。世に多くの、口先だけの「プラス思考」があります。「素純」とつながっていない精神論は、やがてむなしく、なくなっていきます。(天につながるような)『素純』を感じることが、破壊や変化を楽しめるための大切な条件なのです。

【大愚のココロ】
「素純」とは、自分も世界も「いまだ出現する前の状態」です。「その状態を作り出すこと」が、破壊なんです。自分や世界を壊すことではないのですね。

以上鶴田さんでした。


良寛さんは、子供のころ上目使いをする癖がありました。その癖を直そうとした父親があるとき、「そんな目でにらむと鰈(かれい)になるぞ。」といいました。それを直に受けた良寛さんは、泣き乍ら、一目散に海に向かって走ってゆきました。日暮れになっても帰ってこないので、心配した母親が探しにゆくと、一心に海を見つめています。わけを聞くと「お父さんが僕は鰈になるとおっしゃった。鰈になったらすぐに海に飛び込まねば死んでしまうと思って。」と答えます。お父さんはお前の悪い癖を直そうとして、そうおっしゃったんだよ。と母親の説明を聞き、良寛さんはやっと、安心をし、母親と手をつないで帰られました。―― 素純 ――

御教歌

信心は素直なるよし
ものしりて
口唱よくする
人ぞ少なし

信心は物知らぬ程
なおよろし
とても観心得せぬ
ものゆえ
 
   


 

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