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2002年12月  宇宙意識(仏性)/不軽菩薩ふきょうぼさつ
  人間クラブにいたら肉体をつけているので、思うようにならなくてわずらわしいような感がありますね。いろんなことで悩み、「うっとうしい、もうたまらん!」と思ってしまいがちですが、これが落とし穴です。
実はこのわずらわしさこそが浮上のエネルギーで、それがあるからこそ魂は磨かれるのです。

大方の人は意識がこのわずらわしさから逃れようとしています。そして、つい愚痴るのです。
「なんで私がこんな目に!」
「なんでお金がないの!」 などと。
このように愚痴ることは宇宙意識から見れば、自分のいのちを否定して・・つまり宇宙意識にたてをつき、せっかくの仏様の大慈大悲の無限のエネルギーを自分自身で振り払っているのです。
今まで知らず知らずのうち、いつのまにかいのちを信じきれずにいたことをお懺悔さんげしてみてください。仏様はどんなこともお許しくださいます。

そうすると愚痴はなくなり、今までのわずらわしさは浮上のエネルギーに変わります。今の心を宇宙の意識に変えていく作業をすることです。そして意識の交流が出来たらいい。宇宙の意識を感じ、こちらの意識も向こうへ分かってもらえるように交流することです。
そうすると、宇宙の法則にそって生きられるのです。身を労し心を尽くし与える喜びを味わえるのです。宇宙と一体の生き方が出来るようになります。人間はイキイキワクワクすることが与えられたいのちに対する恩返しなのです。要は心の捉え方が全てです。


日蓮聖人は不軽菩薩ふきょうぼさつを慕われました。
不軽菩薩ふきょうぼさつ
「我 汝達なんだちうやまう」と言われ、何があってもその姿勢を貫きました。
なぜならば、たとえ悪人であっても 汝達なんだちは仏性を持っているからです。
分かりやすく説明しますと、
普通は、殺人者を敬ったり、犯罪者になんで「ありがとうございます!」なんて言えるでしょう。
しかし、例えば車の運転中、目の前によちよち歩きの子供が急に出てきたら?どんな人でも思わずブレーキを踏みますね。それは犯罪者であっても同じです。これが仏性というものでどんな人にも仏性の種はあるのです。その種に対し拝むのです。
・・・・・ 罪を憎んで人を憎まず。 ・・・・・
どんな人間にも罪障ざいしょうがあります。
人間クラブにおいて悪い出来事はその罪障ざいしょうを消していただけるチャンスです。ジャンプアップする前にはまず屈伸をしますが、悪い出来事はその屈伸状態のことです。屈伸が大きければ大きく飛べます。今まさにジャンプしようと屈伸しているときに、
「何でこんなことが私の身に降りかかるのか?」
なんて頭を使って考えていたら飛べるはずのものも飛べません。何も考えないでいのちに任せ、大きく跳べばいいのです。

そして、
「今とても苦しい状態だ!谷のどん底だ」
または
「私は一つの山のてっぺんに登りつめた」
などと自分自身を判断して落ち込んだり、有頂天になることもいけないことです。
一つ一つの出来事に一喜一憂し、心を動かしすぐに判断したがるのが悪いクセです。仏様でもその人が死ぬ時まで評価・裁定はなさりません。それを人間が生きている間に評価・裁定するなんてまったくおかしい話です。起こることの全ては仏性の華を開かせるチャンスでプロセスです。必ず最終的に幸せにしていただけるのですから、揺るがない決定けつじょうの心でいのちを信じきることです。いのちを信じきったら仏様の大慈大悲の無限のエネルギーが降り注いできます。ゆったりといのちのままに生きましょう。


      十二月 師走(師は走らず) の言葉 

        ●● 一度きりの人生! 
                   なにを齷齪あくせく   ●●
                     
  「而今にこん」	
	今 息をしている。
	寒い。
	笑った。
	腹が減った。
	美しい。
	おもしろいなァ。        

  
今をよしとすることが愛に目覚めるということ
静かに行く者は 健やかに行く 健やかに行くものは 遠くまで行く 御教歌 --- 有難や 人を助くる御法みのりなり おのが願いは 其中そのなかにあり -- 「諸経中王しょきょうちゅうおう」 この経はよく一切衆生しゅじょうをして諸々の苦悩を離れしめたもう
 
   


 

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