釈尊は人差し指1本だけを立てられ、「天上天下唯我独尊」と唱えながらこの世の中に生まれてこられたという逸話があります。
仏教のすべてが天上天下唯我独尊なんです。全てが私が中心。全てが私ですよ。私の中にご本尊があり、私が全てなのでその根本の私に従って生きていけば間違いない。
だけれど、悲しいかな、人間はいろんな知恵があるからその知恵をどんどんつけて本当の自分とは程遠い人格に形成されるんです。
それを取り除く訓練をすることが自己実現をするということです。
世の中には間違った教えや情報、修行であふれ、これこそ学ぶべき本当の心の中にある唯我独尊、つまり自分を見失って他になにか尊ぶ教えがあると思って迷ってしまうんですね。その結果しょうもないマイナスの波動を受け、本当の自分を見ていこうということを忘れ、あるいは本当の自分には気がついているけれども本当の自分のなかのご本尊を顕現させていくことを忘れ、余計ないろんな事をするんです。それが妄想であったり囚われであったり、あるいは人に迷わされたりなどです。それで生きる姿を無くすんです。要は唯我独尊であり自分のご本尊をそのままそのまま現したらなんのことはない、本当に自己実現ができていけます。それなのに自己実現できないとはどういうことか。それは諸々の妄想にやられてしまっているのです。やられないためにはどうすればよいか。それは法華経の教えに従うしかないのです。その方法に従うと一切のことは帳消しになって妄想(間違った教えや知恵なども)を全部切り離してもらえるという教えです。ですが、それを信じられないから相変わらず習慣で不必要な情報や知恵を引っ張り込むんです。それはとんでもないことですよ。というのが釈尊の教えです。
縁があってこの法華経にお出会いしたことはよくよくの因縁なんです。ただ法華経に従えばいいのです。そうすれば必ず悪いものは浄化されてしまうんです。
ところが頭の中でそんな都合の良いことがあるはずがないという思いだからいつまでも引きずるんです。これまでの人格が自分だと思っているので180度変わってしまうと本人自身がびっくりしたりしますが、それでいいのです。ただ一度の南無妙法蓮華経でたちどころに本来の自分に戻ることができます。そういう教えなんです。それをよく肝に銘じていきましょう。
本心までやられてしまっていて「しようと思っていてもできない。」などといっていたのではどうしようもないことです。あなたの自己実現をするのはあなただけにしかできないことです。他の誰も援助できません。とにかく打ち勝つのにはあなたしかできないとあなたのなかで思い決めることです。
人は人、人と比べても答えはそこにはありません。それが悩みの根源です。自分が幸せになりたいのでしょう?天上天下唯我独尊、あなたが全てです。
ここで気をつけていただきたいのは天上天下唯我独尊というのはエゴを増長する言葉ではないということです。あなた自身の中にご本尊があり、あなたの中に仏様がいらっしゃっり、あなた自身が宇宙の中心ですよ。ということです。そんな尊い自分がいろんな妄想や災いにやられるはずがないのです。それをやられていたのは今までそんなにありがたいことにきずいていなかったことと、その本当の尊さを顕現さす術を知らなかったからです。顕現さす術というのが法華経の方法です。
本当に嫌だったら、「やーめた」で全て終わりです。嫌な事は起こるはずがないのです。
嫌なことが起こるのは心のありようが現われているのです。
世の中にはマイナスの波動がいっぱいありますが屁理屈をごたごたこねてそれを見極めようとする必要はありません。
「あきらめる」とは「明らかに極める」ということですから色々と詮索する必要はありません。
ただ南無妙法蓮華経に精一杯、神経を集中できる工夫を自分でしましょう。
心をまっすぐに正しく持っていったら、幸せが顕現するというのは*正法時代や像法時代の修行です。
ですが今の時代(末法の時代)ではそんなことではおっつかないのです。
ですからお釈迦様は法華経というお宝を末法の時代にお授けなさったのです。
*正法時代(お釈迦様が生きておられた時代あるいはお亡くなりになって1000年)の修行
*像法時代(正法時代からさらに千年)
*末法(釈尊の仏法が全く功力を失う時代、滅後二千年以降)
理屈で言いますと人差し指は5本そろえて指を出すと親指より長いとか左から何番目ですとかになりますが、人差し指1本だけを出すと、ただ人差し指があるだけです。それはあなただけですよ。
人差し指は誰にも教わっていないのに自然と人を指す指ですね。これがいのちを授かったということです。
受精の際には約1億の精子の中から一番早く卵子に到達した精子のみがいのちになります。そこには九千九百九十九万九千九百九十九個の精子の犠牲があります。あなたが生まれてきたということはその上に成り立っているいのちなのですから、イキイキワクワク有り難く生きなければ申し訳がないですね。それがいのちの尊さを自覚するということです。
そんないのちの尊さを自覚しているのは人間だけです。犬や猫には理解できません。さすれば人間としてイキイキワクワク有り難く生きなければ畜生よりも劣るということになるのです。天上天下唯我独尊、あなたが人差し指ですよ。あなたが、誰にも変えることのできないいのちを授かっているのですよ。ですから、ありがとうございます。と森羅万象に感謝することば「南無妙法蓮華経」と唱えると幸せが顕現するのです。
十一月 (霜月)の言葉
●● 人生の目的は長生きじゃなく
イキイキ生きることです ●●
いのちの尊さを自覚する力を持っているのは人間だけ
呼吸ができてありがとう
食べられてありがとう
大小便さんありがとう
眠ることができてありがとう
花のたましい 金子みすゞ
散ったお花のたましいは
みほとけさまの 花ぞのに
ひとつのこらず うまれるの
だってお花は やさしくて
おてんとさまが よぶときに
ぱっとひらいて ほほえんで
ちょうちょにあまいみつをやり
人にゃ においを みなくれて
風がおいでと よぶときに
やはりすなおに ついていき
なきがらさえも ままごとの
ごはんになって くれるから
たき火
かきねのかきねの まがりかど
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
北風ぴぃぷぅ ふいている
さざんかさざんか さいたみち
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
ももやはお手々が もうかゆう
こがらしこがらし さむいみち
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
そうだんしながら あるいてる
御教歌
--- 雨露に打たるればこそ紅葉の
錦を飾る秋は来にけり --
見事なもみぢ色づけるには
雨と露・風や嵐を通り越して来なけば・・・。
苦しみ悩みがあればこそ見事な人生。
難やごたごた・北風こそが最上の浮上のチャンス。