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  救済編 26. 病気
 

病気は生きている証拠。痛みは、体がある実感です。でも病気は治りたいものなのです。

お腹がすくのも痛いのも生きている証拠。痛いのも体がある実感であり、「本当に自分は生きている」「生身の体がある」ってことは、本当に嬉しい事なのです。死んでしまったら、なんにも感じれませんから。しかし、耐えられない病気の悪化は、なんともすることができないのです。だからこそ困ってしまいます。

「人の心に本心があるのなら、今、自分の体がその本心を代表しているんじゃないか。体は治りたいって言っているんじゃないか。」って思ったことがあります。
体にはそもそも、「治りたい」という意志が備わっているんです。その意志に逆らった行動を取ると、悪くなるか、痛みが増すか、たいていどちらかです。痛みは悪い個所を本人に知らせる信号かもしれません。私の場合、状況が悪かったですから、「病気だ、それ医者へ」というわけにはいきませんでした。しかし、心底「治りたい」というより、取り敢えず悪いところを取りたいために医者に駆け込んだのです。

このあたりが重要なことなのです。「方向性」と「エネルギー」のことです。病気もいくら薬や栄養のあるものを食べたって、本人に治りたいって気がないとだめなんです。本当に心底、治りたいって思えば、体は治りたがっているのです。

もともと世の中に病人などいません。すべての人は黄金の仏体なのです。
耳の不自由な人、目の不自由な人、みなよく聞こえたり、見えたりなっていただきたい。痛みは、取れていただきたい。しかし、みなそのままで自分は、「黄金の仏体」なんだ、人間として欠けたところは一箇所もない、と気づいて欲しいだけなのです。黄金の仏体であると気がつき、自分を拝む(自分に感謝する)ようになれば、治っていくんです。心底、生きているから痛みも感じるんだと、生きていてありがとうと思えたとき、後はよくなるしかありません。

私の許にきて病気が治った人はみな、自分の力で治っていったのです。なぜか分かりません。自然治癒力か、それとも別の力か?でも、結果がいいんですからそれでいいのではないでしょうか?

   


 

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