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  覚醒編 17. 「よくなりたい」という強い思いが行動に 現われることが大切、表すことではありません。
 

・・・人はどこか寂しいから病気になったり、絶望感に陥ります。多くの人が私を訪ねてきました。そして、皆さん元気になって帰られるか、帰った後、元気になります。
私の許へきて元気になった人はみな、自分の力で治っていったのです。・・・


とにかく、医者が見放した病気の人や生きることに絶望した人が、わざわざ八丈島の私を訪ねてきました。一人、二人・・・。初めはポツリポツりでしたが、日を追うにつれ、多くの人がいらっしゃいました。来た人に対しては、私はそれはもう熱心に関わりました。というのも、色々深い悩みがあって、その上、八丈島まで来たのです。これは「私に合う必然性」ある人に決まっております。そうでなくても、人生の出会いは「絶妙のタイミング」でやってくると思うんです。
その上、多くの難関を超えて出会う人は格別なのでしょう。ここに来た人は皆さん元気になって帰られるか、帰った後、元気になります。私が熱心に相談に乗ったから、なんて口はばったいことをいう気は毛頭ありません。

そうではなく、この八丈島までわざわざ来るのですから、その人に「体を治したい」「絶望から立ち直りたい」という強い欲求があったに違いありません。そういう強い思いの現われなのです。そうした強い思いが自分をより良い方向に導いただけなのです。しかし、八丈島に来る時は誰もみな私にすがろうとして来ます。私に助けを求めてきます。それもかなり強い思いだと考えます。しかし私は、「治りたいならここまで来い」といっているのではありません。行動で*表せ*、というのではないんです。

そうではなく、私はもちろん皆さんとともに、皆さんの心を受容して、私の力の全てでサポートしたかったのです。多くの人は、どこか寂しいから、病になります。そして私に対する「病気を治してもらいたい」「絶望から救って貰いたい」という熱い気持ちを、自分自身に振り向けてあげるだけなのです。「病気から治りたい」「絶望から脱出したい」ということは自分ですることであって、人にしてもらおうと思っているうちはいけません。

「自分から治る」と「治してもらう」のには、大きな違いがあります。私は「超能力者」でもなく「霊能者」でもありません。ましてや、医者でもないのです。なんで私が「治療」などできるのでしょうか?しかしその部分はなかなか分かっていただけないのです。それは、九州・長崎時代の私がそうでした。私も死のうと思ったり、重い病気にかかった時、誰かにすがりたい、何かにすがりたいと思いました。

だから私にすがってくるのも仕方ありません。私もあまり慌てず、徐々に、そして親身に受け入れてあげるだけでいいと思っていました。治すのは自分だと心底思えるまでは、あまり無理をしない方がいいのです。心に体力がありませんから。

   


 

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