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2002年7月 死を思うから苦しみがある / 「生きている」ことこそが目的
  人間は、「自分の死」を思い、人生を「生涯という長さ」で取り扱おうとするから、焦り、迷い、苦しみが出てくるんです。破産したって、離婚したって、倒産したって、永久に死ななければ、みんなOKです。いくらだって、やり直しがききます。失敗なんて存在しません。

さて、ここで「法華経」というお経をとりあげてみますが、「法華経」はそんなふうに迷いや悩みの多い人間がどうやって生きるかを示した書なのです。「法華経」は正しくは「妙法蓮華経」といいます。
「妙法」とは「不思議な教え」ということです。
「法」は真理、宇宙の法則のようなもので、一般的な先生の教えではありません。
「蓮華」とは日本でいう睡蓮です。蓮の華は泥の中でしか咲きません。泥は現代社会と置き換えてもよさそうです。

苦に満ちあふれた世界のことを「娑婆」といいますが、「蓮の華」はそんな世界だからこそ華が咲くといっています。欲望や煩悩は娑婆世界の象徴ですが、それこそがサトリへの道だといっているのです。蓮の華は「華果同時」といって、華と同時に実をつけます。他の植物は華が咲き終わって実がなりますが、蓮は華と実が同時です。つまり「生きている」ことこそが目的なのです。

仏教の教えには「娑婆寂光土」という言葉があります。娑婆世界こそそのまま寂光土(サトリの世界)だというのです。法華経の方法に従うと、自然にその方法が理解されるのです。まさに人間の理屈の世界を越えて、ストレートに寂光浄土を顕現させようとするものなのです。‐‐‐『頭は使うな心に聞け』より抜粋

・・あとがき・・
「妙法」とは「不思議な教え」ということですが、私、岡本は宇宙の法則の「不思議な働き」、「不思議な現象」とも捉えています。
かつて「こんなに痛くて苦しい(身も心も)ならもう死んだ方がましだ。」と思ったことが何度かありました。ある時、「もう苦しくて苦しくて死んだ方がましだ。」と思おうとしたその瞬間「どうせ死ぬなら苦しいままでは嫌だ。現に今生きているのだから、痛み(心の痛みも含めて)なんてどうでもいいから、したいことをできるだけ精一杯したい。生きている間は、動ける間は何かできることをしよう」という思いがこみ上げてきました。すると不思議です。痛みが軽減しているのです。生きるために生きている。そんな気がしました。イタイイタイと文句をいって生きているから更に痛みは増すばかりだということが分かりました。法華経の方法に従うと自然に自分らしい思いが込み上げて、生きるエネルギーが湧き上がることを実感できます。

七月 文月 の言葉 

	●● 娑婆即寂光  ●●

                                        
---    我と我が忙わしきも我が心
                     そをおさむるも心なりけり   ---

	心のもち方1つで幸にも不幸にも

	 死に急ぐな!!
          人生はゆったりのんびり
           イキイキワクワク
	
	      夏は来ぬ
	卯の花の   におう垣根に
	ほととぎす 早も来啼きて
	忍音もらす 夏は来ぬ

	さみだれの そそぐ山田に
	早乙女が   裳裾ぬらして
	玉苗植うる 夏は来ぬ

	五月やみ   蛍飛びかい
         水鶏(くいな)なき 
                    卯の花咲きて
         早苗植えわたす 
                    夏は来ぬ 


 
   


 

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