普通はいろいろな結果があるとそれで終わってしまうと思っていますが、実はそれが全ての原点で始まりです。
ですから、結果はプロセスです。悪い結果はプロセスですから変えられますし、良い結果もプロセスですからますます良い結果を続けることもできるのです。全ての結果はプロセスです。
そして、結果は自分ひとりで作るもの。自分ひとりの人生。そこにたまたま、相手(伴侶や家族など)がいるだけのこと。
最後は自分自身の人生を歩むということです。自分自身の人生だから好き勝手に歩めばいいのです。結局は自分の人生です。嫌な人がいれば(嫌なことがあれば)嫌な人だな(嫌なことがあったな)と軽く思えばいいのです。それでも嫌だったら嫌な事は忘れて、自分の範疇から消していけばよいのです。
人生を習うということは、自己を習うということ。自己を習うということは、自己を忘れること。できるできないは別にして人生修行とはそういうこと。ある部分は忘れ、ある部分は残っているということは、すべて忘れたということにはならない。
教えざるは師の咎也。習わざるは弟子の咎也。
こういう風に言われていますよ。と伝えるのが師の役目。後はどういう風に受け止めて、どういう風に修行されるかはそちらの問題。個人持ちです。あなたがイキイキワクワク幸せになれることが全て。どういう方法をとろうとあなたの人生です。しがらみがあると幸せにはなれないのでそれを切り離す訓練が人生の修行です。。
いろいろな修行の方法がありますが、今日は自己を忘れるという1つの方法があるということをお伝えしました。
四月 卯月(うづき) の言葉
●● 無数の結果こそ 道程(プロセス) ●●
--- 桜花散らである世の中なれば
あわれとめづる人やなからん ---
もし桜が散らなかったら
誰が「美しいなァ」と覚(ほ)める人がいるだろうか
くよくよ生きるも人生なら イキイキ生きるも人生だ。
同じ人生ならいきいき活きた方が思い残しがなさそうだ。
--- 明日ありと思う心の山桜
夜は嵐の吹かぬ物かは ---
山の桜を明日見に行こうと思っていると
今夜嵐が吹いて散ってしまうかも。
小さく生きて、小さく終わってしまう人生なんとさみしいよな。
解決できない問題なんてこの世にないんだから。 |