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2003年4月  「晴公雨独」
  4月の言葉「晴公雨独」。これは「晴耕雨読」のもじりでしょうが...。ですが、杉浦 導師が言いたいことは少し違うようです。今回も経営コンサルタントの鶴田先生と杉浦師がこの「晴公雨独」について語り合いました。

鶴田先生:「先月のお話のなかで、杉浦先生が『好き嫌いを超えて人の縁を作る』といっていました。同じことを別の先生の本で読んだので、新たに考えさせられるところがありました。

杉浦師:「鶴田さんはいつも『頭で考える』のですね。本からの『知識』なんていらないですよ。大事なのは感じることですよ。」

鶴田先生:「それが『
晴公雨独』と関係があるんですか?」

杉浦師;「『公』は人間社会です。『知識』や『情報』などのこと、それが増えていくと楽しいことです。そのため『晴れの日』のように目が外へ向かいます。それらを自分の外側に求めますが、しかしそればかりでは危うい人生です。『知識』や『情報』は『大いなる智慧に気づくこと』をジャマしているからです。そこで『雨の日』が必要になります。一度『知識』や『情報』を止めて、意識を内側に向けます。そうした作業によって『大いなるものの智慧』が自分の中に流れ込み『感性』ができるんです。」

鶴田先生:「ところで、晴と雨といえば、人生には好不調の波がありますね。人生は波に従わないとダメですね。ビジネスでもそうです。同じ資金力でも(物質的に恵まれている時)は、精神論より実行です。でも雨の日(物質的に恵まれていない時)は心を鍛えなければいけません。ただ、雨か晴か自分でコントロールできないでしょう。」

杉浦師:「今、雨か晴か、自分がどっちか決めればいいんです。したいようにすればいいんです。」

鶴田先生:「『したいようにする』と、自分勝手な『プラス思考』に陥り、まちがった方向に行きませんか?」

杉浦師:「行きませんよ。『知識』や『考えること』を一時止めて、自分自身に意識を振り向けると。、『大いなる智慧とつながっている自分』に気がつくのです。その『智慧』の力によって『感性』が形作られます。このとき、自分は『ツイてる』とか『恵まれている』」とか、『ありがたい』といった気持ちが、内面から湧き上がってきます。さらに『感性』は鋭く磨かれていくのです。じつは、個人だけでなく企業経営でも同じなんですね。」


・・・まとめ・・・
「知識」や「情報」を外から得る前に、「大いなるもの智慧」によって得た「感性の光」を、内側から外側に向かって照らし出します。すると「公(外側)」の世界が、「感謝(ありがたい)」や「恵み(ツイてる)」に満ちたキラキラした世界になっているのです。

      三月 の言葉 

      ● ● 晴 公 雨 独 ● ●     
                       
             はやく歩きすぎた          
                だからわれわれの          
                   魂が追いつくまで          
                     待たねばならなかった。     
           (エンデのメモ箱)ミヒャエル・エンデ
   
      御教歌
     --  御法味ごほうみの絶えぬ家こそ楽しけれ
                              守護の諸天も離れ給わず --
        
「花は語らないけれど咲きにおえば、人おのづからそのもとに集まり、
水のあるところ月かならず影を宿す。
如何に招くとも花なければ人は来ず。れたる池には月影は映らない。
南無妙法蓮華経と唱え奉ればその声におのずから諸天は集まり
唱題のないところには悪鬼も手蔓てづるを得る 」

■「帰り矢」
人間は誰しも得を好み損を嫌います。しかし、宇宙万物の原理は陰陽を
もって働いているのです。
得というエネルギーが働いている時その裏側の目に見えない所で損の
エネルギーも充足されてゆくのです。
「天運盛んなる時は鬼神もこれを避く」の言葉通り人は成功や出世の
上潮になった時は恐ろしいまでの強運が示されます。
しかしこの運気も陽極まれば陰気に逆転する時がくるのです。突然の
失脚が起こり、叫びます。「なぜだ!!」と。
  それまでに貯まっていたマイナスのエネルギーが突然一気に噴出し
て来ます。得の山が高ければ高いほど損の谷間も深いのです。これを
「帰り矢現象」と呼ぶのです。つまり中天に向かって弓を射ればその
矢の上がる力が尽きるとやがては自分の上に落下してくるのです。
  この帰り矢は必ずしも本人に帰るとは限りません。本人の近親者や
愛する人に帰るのです。運気盛んな人の奥さんが病気になったり、跡
取息子が突然事故死することもあります。「好事魔多し」の言葉通り
当事者の好調時を狙って突然起こります。
  人生が成功途上にあり得意満面である時ほど、このような不幸災難
は起こるのです。それは何故かといえば、その人は損と得のエネルギ
ーの表裏両面の働きを知らないからなのです。本来はひとつの物なの
ですから...。
 「帰り矢」をかわす方法があります。それは『散銭ちりせん』という方法です。
銭を散らす。即ちお金を使うことです。しかし、何か物を買ったりして
お金を使ってもダメです。それはお金が物に変っただけで所有されてい
るのですから...。
  「散銭」とは「お金を人にあげること」なのです。しかし気前よく、
「散銭」を「チップに取っておけ」は散銭になりません。なぜならこの
行為は自分の優越感を高めていい気持ちになるという気分を買っただけ
のことですから。
  「散銭」とは愛する人のためにお金を使うことなのです。見返りの期
待のないところで使わないと「散銭」にはなりません。ボランティアで
もその行為を人に誇ろうと思った瞬間「散銭」ではなくなるのです。自
分が好意を持っている人に対して何か買ってあげようとする時も、純粋
にその人の喜ぶ笑顔だけを見たいというのが「散銭」なのです。
  要するに「散銭」とは愛のために純粋に損をすること。寄付やお布施
と呼ばれる行為もこれに当ります。
  この「損したエネルギー」は目に見えない世界で「得したエネルギー」
と相殺作用を起こすのです。その結果損した気分はもっと欲しいという
「貪りの心」を冷却してくれるのです。   
    
 
   


 

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