澄む:雑念がなくなる。「―・んだ心」 静かになる という意味もあります。*待つ:それぞれの絶妙のタイミングというものがあります。待つことが最大の思いやりです。
「怪力乱神を語らず」
戦国時代、織田信長は家来に報酬として領土を与えました。それにより家来は張り切り、どんどん力を大きくしていきました。豊臣秀吉は更に輪を掛けどんどん与えました。
それが徳川家康の時代には既に与える領土はなくなり、このままでは天下を治めることができない、これからは人格やにじみ出る知性でなければ治めることができないと感じ、ある時期、孔子の論語を取り入れました。
論語の「怪力乱神を語らず」を用いた際に、妖怪、神霊といった事は語るに足らない。つまり信じない。と受け止め、武士たるもの妖怪や幽霊など見えないものに怯えているとは何事だ。そんなものはないのだ!と見えない世界を排除してきました。それが現代にも受け継がれてきましが、この30年ほどの間に見えないものを改めて語る時代になりつつあります。
論語の「怪力乱神を語らず」という本当の意味は 妖怪や幽霊、不可解な力、不合理な神秘(超能力)などの見えないものは実はあるのだけれども、客観的に説明できないものは夢と同じで語っても無駄です。それを語り、深入りするとかえってややこしくなり過ちを起こすので、見えないものの有無は今は論じるのでもなく語らないでもおこう。という意味です。
見えない世界に振り回されていたのでは本当の幸せは顕現しません。
末法(今の時代)を無仏世と呼び、この時代に我々が想像しているような神々しい姿の仏様は現われません。56億7千万年後に始めて弥勒菩薩が現われると経典には示されています。
では、どういったところに仏様が現われるのでしょうか。それは、「現証正意」といって、現象のご利益というところに御顕われます。理屈などわからなくても現実に幸せが顕現していればそこに仏様が御顕われた証です。
そうなるためには、始末の悪い、目に見えない諸々の悪因縁、諸々の囚われを一網打尽に打ち消すことです。
その方法をお釈迦様は法華経で教えられています。
唱え重ねて「妙」を知るのです。
「妙」とは世間一般の人から見れば「そんな馬鹿な!そんな不思議なことが起こるはずがない」といわれるような幸せな現象が現われるということです。
‐‐‐追伸‐‐‐
見えないものは確かに有るのです。
世の中の災いなどは一概にすべてが霊魂や因縁から来ているとは言えませんが、大方は見えないものが原因でおこっています。
ご信心に入ったとき、何かに災いされ精神分裂になった方と関わったり、私自身も憑依などを体験しました。そしてこの心と身体を全部使っていただこうとご信心の決意を更に固めました。
その私が今は語っていないのです。
これからは論語のように今は語らずで人々を教導させていただくか、あるいは語りながら教導させていただくか各々のやり方でやっていく。それが残された我々のクリエイティブな修行です。